だんだんとギャラではなくなってきた…気がする

偉そうに言えるわけでもなく、それでも、何やかんやでフリーランスとなり十数年が経過した。

いまだに至らない部分も多々あるし、これっぽっちの自信もない。そんな自分にもお声がけいただけるのは、本当にありがたいと痛感している。

ただ最近、自分なりの課題がみえてきた。まあ、表題どおりだけども。頭も体も二十代の頃と比べてキレ味が悪くなってきたこの頃、だんだんと「ギャラにとらわれない仕事」を見つける必要性に駆られてきた。

●仕事を終えてもむなしい

僕の本業はライターだ。それに付随して企画を立てたり、取材先との交渉をしたり。ときには、誰かへ原稿を依頼したりと、いわゆる「編集」としての役割も担っている。

一方で、チラシや誌面などのデザインを請け負うときもあるのだが、いつからか、だんだんと仕事を終えてもむなしくなる場面が増えてきた。

●経験は魔物

記事にしろ何にしろ、一つのモノを作り上げるにはたくさんの工程や手間がかかる。

インタビュー取材にしても、相手についてできる限りの時間を使い徹底的に調べ、場面をフルに想像しながら質問を想定していく。

他の仕事にしても同じで、過去の経験を棚おろししながら、ときには、新しい知恵にもふれながら一つひとつの作業をこなしていく。

ただ、経験というのは魔物で、だんだんと邪魔になってくる。無意識にも「この仕事なら、まあ、こんなもんだろう」とおごりが出てきて、効率のよさとは異なり、悪い意味で手を抜き始める自分に気が付いてしまう瞬間が来る。

●自分をブン殴りたくなる

僕は、仕事が好きだ。でも、刺激に慣れ過ぎたのかどうなのか、時折、淡々と目の前の作業をこな「そうとしている」自分を見ると、正面から思いっ切りブン殴りたくなる衝動に駆られる。

一方で、他人に対するイライラが増えてきた感覚もある。相手のささいな接し方にも「どうしてこの人は分かってくれないんだ」とか「今の場面ではこうする【べき】なのに」と、経験から来る下手に偏った考え方で、状況をみきわめてしまう瞬間もある。

●取り戻すのか、見つけるのか

二十代の頃、尊敬する仕事の先輩から「プライドなんて1円にもならないよ」と言われたとき、僕はハッとした。その一言を聞いてから、がむしゃらになってみたら周りの状況が色々と好転していった。

しかし、そこからかれこれ十年ほど。僕の中にはきっと、変なプライドがこびり付いてしまったのだろうと、ここ最近、常々感じるようになってきた。

かつて『踊る大捜査線』の2作目の映画で、主人公の青島が「課長、もっとシャキッとする事件ないんですか?」と、つぶやいた場面があった。

事件に大きいも小さいもないと信念を貫いていたはずの彼が、事件を無意識に選り好みする。その場面は、仕事への刺激が薄れつつある三十代半ばの悲哀を、みごとに表現している一幕だった。

あと2年半で、僕も四十代になる。ここに来てもう一度、仕事に対する情熱なり楽しさを見出せるようにしたい。

取り戻すと言うべきか、見つけると言うべきか。どちらが正解か分からないが、とにかく何かのきっかけをつかまなければ、近いうちに腑抜けてしまいそうなのが本当に怖い。

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