嫁さんと結婚してから五年半。じつは、昨年末にボクら夫婦はある大きな決断をした。それは、子どもを作らないという選択肢。なぜ、そう決めたのか。時系列を追って話してみたい。
昨年夏頃から続けた不妊治療
結婚から四年半が経過していた昨年の夏頃。ボクら夫婦は、不妊治療に臨むようになっていた。ボク自身も精液検査を受けて、嫁さんも何度か産婦人科に通い自分のカラダに異常がないかを調べていた。
そもそも不妊治療に至った理由はまあ色々とあるのだが、ボクが三十代半ばで、嫁さんも三十代へ突入。環境が変化するにつれて親からもどことなく「子どもはまだなの?」という言葉のないプレッシャーをひしひしと感じていたし、周りからの妊娠や出産の報告を受けて、嫁さん自身が焦っていたのも大きかった。
さまざまに検査した結果、ボク自身には何ら異常がなかった。と、こんな書き方をすると「じゃあ、嫁さんの方に原因があったのか?」となりそうなものの、妊娠を目指す上では彼女にも何ら問題はなかった。しかし、色々な病院で説明を受けていくにつれて、灯台下暗しでもあった問題に巡り巡ってたどり着いた。
足元にあったボクらの問題
じつは、ボクの嫁さんは生まれつき「ホルト・オーラム症候群」と呼ばれる先天性の障がいを抱えていた。十万人に一人がかかるといわれる病気で、生まれながらにして心臓の内部を分ける「心房」に欠損があり、多くは左手の親指や左腕が満足に動かせない症状がみられる。
嫁さんは不妊治療を続ける中で、自分の障がいが妊娠や出産に影響を与えるのかを不安視していた。その現実を知るべく、昨年末頃に足を運んだ世田谷にある「国立成育医療センター」で、ボクら夫婦は「子どもに遺伝する確率が半々である」と説明を受けた。
帰りぎわ、医師の説明を思い出しながらボクら夫婦は、ご飯を食べながら今後について話し合った。嫁さんから「これからどうしようか?」と聞かれて「子どもを作らない方がいいのかもしれない」と答えたボクに、彼女は「私も同じコトを思った」と返してくれた。
子どもをバクチには巻き込めない
いまだにその選択肢が正しいのか間違っているのか、ふと考えてしまう瞬間がある。子どもがたとえ障がいを抱えていたとしても、幸せに暮らしている家族もいる。しかし、病院で「エコー検査や出生前診断で判明するのもまれで、生まれてみなければ障がいが遺伝したかどうかはほぼ分からない」と説明されたら、とてもふんぎりを付けられなかった。
そしてじつはこの話を受けて、嫁さんが自分自身の過去や当時の家族の苦労も語ってくれた。生まれつき心臓に異常があった嫁さんは、まだ首もすわらない頃から手術を受け続けていた。7歳頃まで何度も入退院を繰り返していて、お義母さんやお義父さん、3人兄妹である嫁さんのお兄さんやお姉さんも、嫁さんの看病のため奔走していたのを聞いた。
ボク自身、もし子どもが障がいを抱えて生まれてきたとしても、その苦労を背負う覚悟はある。ただ、たがいに健常者同士で出会った夫婦から障がいを持った子どもが生まれてくるのとは異なり、初めから「半分の確率で障がいを持った子どもが生まれてくるかもしれない」と分かっているという、ある種のバクチのような選択肢を取ろうとはどうしても思えなかった。
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結婚も生活が変化する大きな節目で、その先でやはり自分たちの子どもが生まれるというのは夫婦として「あるべき目標」なのかもしれない。しかし、その選択肢をふさいだボクら夫婦は今「二人で何を目標に生きていこうか」と、語り合うときがある。
子どもを作るのはあきらめたかと聞かれたらきっと、今では半分強がりながらも「あきらめた」と答えたくなるのだが、この先でもしかしたら「やっぱり子どもが欲しい」と強く願う瞬間が来るのかどうかも、正直いって怖い。
自分にあった障がいがここに来て壁になったのは嫁さんもショックだったのはいうまでもなく、話し合っているときにふと「ゴメンね。初めから分かっていれば、五年間を無駄にすることなかったね」とつぶやかせてしまったときもあった。
しかし、子どもを持つという選択肢を考えれば「養子を取る」といった方法もある。夫婦として何を糧に生活していくべきなのか。いまだに日々、考え続けている。